あゆみ(1985-1994)

形骸化への警句精神保健法の時代へ先駆的な労働行政インフォームドコンセントADLからQOLへ診療報酬改訂がもたらしたもの新たな流れ-低迷する作業療法との指摘も-協会の今後


1985-1994

…ここにビネルの二つの肖像がある。一つはまだ比較的若いころのものであり、もう一つは年をとってからのものである。
…若いころの肖像はまじめな人のよさそうな顔をしている。老年の肖像は気むずかしい、意地の悪そうな顔をしている。このちがいは、単に年齢の差のみによるのであろうか。あるいは解放者と管理者との立場、イデオロギーのちがいが顔にまであらわれたものであろうか。

西丸四方「医学の古典を読む」(みすず書房、1989)141頁より引用


形骸化への警句

ピネルには、その後“病人を鎖から解放したが、そのかわりに新たな道徳的な鎖をはりめぐらした”という批判が、ミッシェルフーコーなどからみられています。教育的に人道的に精神病者を導き救おうとする反面、新たな療養秩序や管理方式をもたらし、それらが形骸化してゆくことにより、荒廃と抑圧さえ生んでいたという指摘です。これは、1970年代に際だって精神病院の治療管理体制や生活療法・作業療法に寄せられた批判や見直しを求める指摘と通い合うものではないでしょう
{参考}神谷美恵子著作集8;精神医学研究2「ピネル神話に関する一資料」みすず書房1989


精神保健法の時代へ

この10年間はこれに先立つ20年の時代背景を受けて、精神衛生法(1950)の時代から精神保健法(1988)の時代へ移ってゆく10年であったと言えます。
精神保健法は、その対象について精神障害者という視点でとらえ、その人権を守り医療と社会生活援助の展開を支援してゆこうとしている点で、新しい時代の幕開けと言えましょう。しかしなお具体的な社会生活援助の仕組みについての課題をはじめ、修正を要する点もあり、5年ごとの見直しをしてゆくものとされました。
本会では、この見直しにむけて会員からの意見聴取を行いました。小規模の作業所やグループホームなどの開拓が地域で積極的に行われつつある反面、公的な施設の整備はなかなかすすんでいないことから、助成金や補助金の増額と国や地方自治体に設置を義務付けることが必要とする意見、保護義務者の規定(1990年の改正では“保護者”との表現になる)ヘの意見が寄せられています。こうした声を集約し、法の見直しに反映させる取組みが、さらに強化されることが求められています。


先駆的な労働行政

また、精神保健法より一足早く、労働行政の上での見直しがすすめられ、障害者の雇用促進等に関する法律(1983)が制定されました。精神障害者を他の障害者と差別なく雇用促進を図ることとなり、障害者職業センターの開設をはじめ職安窓口での今後の積極的な対応が期待されています。24回大会(1988)では、労働行政の新たな対応について、専門家を招いて学習を行いましたが、しかし、事業所側の理解がなかなかすすまないことや、職業リハビリテーション領域での積み上げがまだ十分ではなく、手探りの対応の段階にあるようです。
今まさに、こうした領域との密接なかかわりを積極的に積み上げて雇用促進が図れるよう努めてゆく時といえます。


インフォームドコンセント

インフォームドコンセントということがしきりに語られるようになりました。医療を受ける側の権利としても、また治療者・看護者側にとっても、正しく病状や治療方針等の説明を行い、理解と協力を得てゆくことの大切さを述べているのですが、これはとりもなおさず、相互の信頼関係に立った医療の展開を志向するものです。
作業療法の現場における支持や援助の在り方および社会復帰のそれぞれのステップにおいて行う援助や助言の在り方とかかわるものです。私たちの日常実践とのかかわりを検討してみる必要があります。


ADLからQOLへ

“ADLからQOLヘ”この言葉も会発足当初には聞かれないものでした。作業療法士養成がはじまるとともにADL全盛時代が続いていました。もとより ADLは、それぞれが自己実現を図ってゆくことができるよう援助する方法であり手段のはずですが、いつの間にか、ADLのレベルで人そのものを評価しがちになったり、リハビリテーションゴールに枠をはめてしまわないとも眼らないとの危惧が指摘されてきました。QOLという視点は、そうしたことへの警句ともとらえらえると思います。
精神障害者への援助は、車椅子生活の人が行動の自由度を広げる上では、家屋を改造し、道路や社会の基盤の整備が必要なように、本人に求める努力だけでは導けない、趣味や社会活動・生活の中で直面する壁の存在が沢山いろいろにあって、これをどう支え広げられるよう援助するか、一人一人の願いを大切にするかかわりが求められてくるわけです。
作業所やグループホーム、自助グループなど、地域社会に多彩な場が今生まれ続けています。具体的にそうした場に身をおいてそれぞれの生き生きした日々の創造にかかわりはじめた医療従事者もみられるようになってきました。


診療報酬改訂がもたらしたもの

理学療法士作業療法士法の制定と相前後して発足したこの会は、30年の歳月を経る事となりました。昭和49年(1974)には診療報酬請求の対象となり、作業療法士による作業療法の基盤が一応整ったことになります。診療報酬点数は、30点時代から1993年には200点時代を迎えました。SSTについても、1994年には請求を認められるようになりました。このような状況は、実践の場に何をもたらしてきているのでしょうか。
精神科作業療法施設として認可されている病院は、1994年には全国で300以上に達し、作業療法士が登場したことによる病院内の治療活動の見直しもしばしば行われてきています。精神科デイケアの開設や作業療法施設認可を得ようと努める病院は、今後さらに増加すると思われます。
一方施設基準の見直しを強く求めてゆかなければならない状況が生じており、現行のままでは、小集団やベッドサイドでの作業療法、生活軸となりながらの作業療法の展開が評価されず、作業療法の多様な展開と適用を留保せざるを得ない場合も多く、これは現行の施設基準の弊害といえます。
なお作業療法担当スタッフや、医療チームの在り方にはどんな変化が起きているか、点数請求基準に達しない病院でのリハビリテーション活動の実際と課題についても、検討する時期であると考えます。


新たな流れ-低迷する作業療法との指摘も-

この10年は国際障害者年の影響も残って、ユーザーや市民にも開かれた会議の開催が目につきますその一つは、日本精神衛生会主催の精神保健会議で、その第2 回の会議(1988)では「精神障害者のリハビリテーション」が主題となり、会場の有楽町マリオンは、会場に入りきらぬ人々がロビーでテレビ中継を見ながらの参加という状況でした。
この席で一人の演者が「百年一日が如き作業療法」と語ったのを受けて、秋元波留夫先生も「地域での作業所などの活発な心強い展開に比べて病院内の作業療法は低迷している」と語っておられました。
専門職が登場して久しいのにこれは何をさすのだろうか、それぞれに心あたりはあるのかと悔しさを込めて、そのことを会のニュースに書いたりしました。“ 医師の指示のもとに”ということは決して担当者の主体性を否定しているものではないのですが、開拓精神をもっと持ってといわれているように思います。
作業療法についての激しい攻撃と批判の矢面に立たされて日も浅い中で、積極的な態度を失いかけていなかったろうか、診療報概体系の問題はないだろうか、他の病院スタッフから浮き上り実践がよく理解されていないということはないだろうかなど、いろいろなことを実践にあたっている者同士で話し合うためにも、この会がもっと利用されたらよいと思います。
もう一つは、世界精神保健連盟1993世界会議が日本で開催されました。本会も臨時募金を募り、後援団体として参加、これにもユーザー、市民、日頃関わりの少ない領域の専門家の参加などもみられ、広い視野で精神保健を考える機会として役立ったと思います。 この年、東京で精神障害者の全国組織が発足しました。このような新たな流れが、全国に活発に出来始めている中で、これからの10年を私たちも積極的に発言し、かかわりあう10年としていきたいと思います。


協会の今後

協会の今後については、アルコール症・てんかん・痴呆性老人・処遇困難例、外来OT等多様化しつつある対象者と援助の展開を視野においた運営が求められてくることでしょう。
また、会員については、世代交代が加速されつつあり、役員も退職等の例をしばしば見るようになりました。小さな所帯で、一人がいくつものことと関わっていて、それだけに、後の補充が困難となることがしばしばありました。レクリエーション研修会や作業療法研修会が一時開催困難になったのも、新しい運営体制作りがすすまなかったためでした。
これからは、会の役割の再検討と共に運営体制の研究の必要がますます強まると思われます。会員の皆様には自分の会という自覚をもって、一層の会の運営へのお力添えをいただけるようお額いします。


本会第30回大会(1994)にて報告